歴史の狭間に埋もれた教育界の偉人・カルシュ博士

カルシュ博士顕彰会 (2001年-2020年)

まえがき ひとに知られることもなく、ひっそりと日本の人々の心を愛した一人のドイツ人を紹介するために、ドイツ人の読者の関心を意識してまとめてみたものです。 ひとえに、こうした素晴らしいドイツ人がいたことを知っていただくことを願ってのことです。

以下に、そのあらましをドイツ語で記述しています。 また、青山学院大学教育学科OBがまとめてくれた同博士の 詳しい記事を同大学の厚意で添えてあります。

大正14年より14年間にわたり、旧制松江高等学校(現島根大学)で教育に力を注いだドイツ人哲学者フリッツ・カルシュの生誕から125年が経過しました。
彼は、教育者であるとともに、日本の哲学や宗教の研究家で、昭和15年から5年間は外交官でもありました。彼の薫陶を受けた著名人には「長崎の鐘」で知られる永井隆、免疫学者で日本のジェンナーと呼ばれる奥野良臣をはじめ、科学者、文学者、政治家、法律家、外交官など枚挙に暇がありません。1999年以来、日本国内、ドイツおよび米国で蒐集した関連資料の永久保存のために、歴史的価値のある松江市奥谷町の旧住居を記念館として改修・復活する呼びかけを行ってきました。ラフカディオ・ハーンと並ぶ功績を残した同博士は、数多くの優れた風景パステル画、歴史的写真、それに専門著書と1万5千頁におよぶ未整理の研究原稿を残し、関連図書を発見できています。戦中戦後の混乱により歴史の狭間に埋もれた、隠れた偉大な教育者、哲学者のカルシュ博士について、その足跡が広く国民に知られるよう念じております。

カルシュ博士の略歴

ブラゼヴィッツに生まれる(1893), 市立小学校入学(1899), 父ヘルマン急死(1901), 王立ドレスデン・ノイシュタットギムナジウム入学(1903), ブラゼヴィッツ職業ギムナジウムに転校(1906),ドレスデン国際博覧会参加(1911), 大学入学資格試験合格・ドレスデン工科大入学(1914), 第一次大戦時、通信兵として従軍・復員(1914-1918), マールブルク大入学(1919),エッメラと結婚(1921), 哲学博士授与(1923),松江高等学校着任(1925), アクセンフェルト教授来日、各地を案内(1930)。ドイツ一時帰国・親類との交流(1931), 松江高校退任・ドイツ帰国(1939),ドイツ大使館勤務 副武官(1940-1945), マールブルクへ強制送還(1947), 三笠宮崇仁殿下主催のパーティに招待(1960),年金生活 (1967), アルベルト・コルベ・ハイム(老人ホーム)入居 (1967)。旧制松江高等学校同窓会による日本訪問の招待(1968), カッセルで死亡(1971), 若松とフリーデルンとの偶然の出逢い(1999),日独文化交流の架け橋の功労者として日独協会が森鴎外らとともに紹介(2005)。

カルシュ博士の縁

カルシュの親類には1937年ショパンコンクールで入賞したピアニスト、チェンバリストであるエディット・ピヒト・アクセンフェルト(元フライブルク音楽大学教授)がおり、多くの日本人弟子を残している。また、モラクセラ・ラクナータ菌を発見し、現在の眼科学に大きな影響を及ぼし、訪日した世界的権威のテオドール・アクセンフェルト(元フライブルク大学教授)がいる。なお、現在ベルリンの博物館に歴史的重要資料として厳重保管されている「ヒトラーの行動記録(16ミリ)」を戦後ミュンヘンでハンス・バウアーより押収し、保存していたのが長女メヒテルトの夫ヘルベルト・セイント ゴアールである。ライン川流域のセイント・ゴアール市の200年前の富豪で、市長を勤めたラツァルス・セイント・ゴアールは彼の祖先である。それ以前の宗教上の功績からであろうかその名をもつ。近年、顕彰されて子孫の彼がドイツから大歓迎を受けた。また、メヒテルトの母方の祖先のエリザベートが聖職者(未確認)ということでもある。カルシュには、戦後復興に活躍した多くの著名人を育んだことだけでなく90年前の出雲の地や日本各地の貴重な記録を後世に残した功績や、さらに周囲にも多くのことが語り継がれている、松江にとどまらず全国に誇るべき偉人である。長女メヒテルトはアメリカでシュタイナーの人智学の中心人物で、次女フリーデルンは戦後のシュタイナー学校(自由ヴァルドルフ学校)出身で、マールブルク大学で政治学、地理学の2つの学位を取得し、同じ自由ヴァルドルフ学校でシュタイナー教育に永年携わり、現在も継続的に活躍している。 そして、直接に彼女から二代にわたって教育を受けた日本人にも辿り着くこともできるほど、カルシュの影響の拡がりを世界中にみることができる。

カルシュ博士と生徒

カルシュには現代の教育に大きく影響を及ぼしている人智学と哲学者ルドルフ・シュタイナーを日本に紹介した大きな業績がある。一般には戦後に紹介されたと言われているが、1925年に来日したカルシュ夫妻が交わした1923年当時のシュタイナーに関するノートが現存し、スイスのゲーテアヌムでのシュタイナー信奉者同士の交流も確認されている。なおシュタイナーの思想の流布については、昭和10年頃を境にヒトラーによって禁じられたが、密かに彼は日本国内でシュタイナー教育理念を広めていたことが知られている。戦後これが復活して、日本でもシュタイナー学校が創られ、最近は一貫教育の象徴となっており、教育史上、カルシュは重要な位置を占めている。多くの宗教哲学者(三笠宮崇仁殿下、西田幾多郎、鈴木大拙、高橋敬視、長屋喜一)との交流も記録とともに確認されている。さらにカルシュが当時の高校生への講義のなかで、「西暦2000年頃、ヨーロッパ文明が自己矛盾から他との軋轢が各所で生じること」を語った注目すべき記録を見ることができる。 1968年に彼を慕う、かつての生徒らが発起人となって日本に招待したことがある。教育の荒廃が各所で声高に叫ばれているさなか、彼が教育者として ハーンとは全く別の教育の見本を残した大きな貢献と、生徒や近隣の人々との密な交友から彼の存在の偉大さを評価する必要を感じている。

以下に、カルシュが残した 著書と生徒への言葉を掲げる。

カルシュに関する全体的な解説

カルシュ博士の 全体的な記載とドイツ語による書籍を 「Erinnerungen aus dem Viereckigen Tauchnetz」として公開しています。 なお、同博士に因んでHerbert St.Goar夫妻のライン川沿いのSt.Goar市からの歓待の様子と長女が若松に残した文面およびベルリンフンボルト大学の Prof.K.Kracht から寄せられた激励と提案のメールを記載します。

カルシュ博士に関する著書

カルシュ博士に関する写真集と絵画集

若松秀俊編 写真集11冊と絵画集 マツモト(2015年10月- 2016年1月)は「書庫」に登録してあります。画面が出たら、Keyword(例えば「写真」)を入れて検索できます。内容は、いわゆる「立ち読み」で一部を眺めることが可能です。 電子書籍なら写真・絵画も見ることができます。

カルシュ博士に関する新聞連載、出版など

カルシュに関する展示会

カルシュ顕彰に関する活動

NHK松江放送局(インタビュー)他に、民間放送局と合同(カルシュの旧住居)で数回
山陰ケーブルビジョン《フリッツ・カルシュ》
2017年1月1-4日 2月21,23日,2018年8月再放送
横浜国立大学工学部の弘南寮による研究経過の概略の記載があります。
また、ドイツでかつて行った講演の資料の記載があります。さらに、山陰中央新報には、カルシュが90年前に自ら撮影した
日本三大神幸船祭と呼ばれるホーランエンヤ祭と今上陛下のご即位時にあって昭和天皇の御大典行列が紹介されています。

以下には関連する補足として
Wakamatsuのドイツ語略歴とカルシュにとって印象深かった佐太神社 を記載しています。

追記として、カルシュの第一世界大戦時の従軍記録を含む青春日記未整理の原稿および自身の肉声の講演記録を記載しました。

おわりに  これまで、展示会や雑誌、著書によって公開した資料はお申し込みにより、カルシュ博士顕彰会の承認により、同会代表者の名前で資料の利用許可証を発行します。これについては、同会の規約(抜粋)発会の経緯をご覧ください。 本会のホームページへのご意見や関連情報をメールで是非 カルシュ博士顕彰会宛にお寄せください。

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